HISTORY
TSUBAKIで楽しむ歴史と観光

プレミアホテル-TSUBAKI-札幌のある豊平川周辺は、北海道開拓の地として有名で
ホテルの隣地に当時の記録を残す石碑が残っています。

アイヌ人が豊平川を「サッポロ・ペツ」と呼び、これが札幌の地名の由来となったことからも
札幌は豊平川があったからこそ生まれ、これほどまでに栄えたと言われています。

こちらのページでは、そんな豊平川と札幌の開拓に尽力した偉人たちをご紹介したいと思います。

札幌開祖 志村鐵一碑
(TSUBAKIと豊平橋の間付近)

当館の隣、豊平橋との間に石碑があるのをご存知でしょうか?
「志村鐵一碑」と呼ばれているもので、蝦夷地に初めて居住した和人、志村 鐵一を称えた石碑です。

豊平川は、今の穏やかな姿からは想像もつきませんが、
1857年当時は現在の5倍から10倍もの水量があり、
橋もなく交通の障害となっていたそうです。そこで渡し守として活躍したのが、
もともと信州の剣客であった志村とその息子であり、
和舟では渡り切れないほどの急流を、丸木舟を使い多くの人を運んでいたと言われています。
やがて人の往来が多くなると、駅逓(えきてい・宿泊と郵便を扱う仕事)としての業務も担い、札幌の発展に尽力しました。

1869年に明治政府により開拓使が置かれたことで仕事を奪われてしまった志村でしたが、1871年4月にようやく豊平橋が完成すると、橋守まで務めました。
しかし、1874年にそれも解任されると、その後は仕事を失った絶望で定山渓に向かい、そのまま行方不明になってしまったと伝えられています…

目的地までの道中で新たな生きがいを見つけたのか、はたまた事件や事故に巻き込まれたのか…
彼のその後は誰にも分りませんが、大都市・札幌に今も自然豊かな豊平川が残っているのは、屯田兵よりもいち早く蝦夷地開拓のために居住した、志村の活躍があったおかげかもしれません。

札幌開祖 吉田茂八碑
(豊平橋の西岸)

豊平橋をススキノ方面に渡ると、西岸にもう一つ石碑があります。
こちらは吉田 茂八の碑です。

先程ご紹介した志村 鐵一と同様に豊平川の渡し守を命じられ、
志村が住居を構えていた対岸に住居を構えました。
吉田は北海道の出身で狩猟をしていたことから、
渡し守だけでなく豊平河畔に群れてくるエゾ鹿の狩猟にもあたっていました。
また、現在札幌の中心地を流れる創成川の掘割工事でも活躍し、
現在でも南3条~南6条の区間は「吉田掘」と呼ばれています。

志村鐵一と同じく札幌開拓に尽力した重要人物として知られていますので、
当ホテルにお越しの際は是非こちらの石碑もご覧いただければと思います。

渡し守をしていた当時の豊平川(左)と開拓当時の創成川(右)
(所蔵:北大付属図書館)

札幌の開拓と繁栄の基礎となった豊平川は、
現在ではすっかり自然豊かな美しい川になりました。
プレミアホテル-TSUBAKI-札幌でも、
一部の客室やレストランからその緑と水の景観を楽しむことが出来ます。
開拓当時の豊平川と2人の尽力者に想いを馳せながら、
札幌の歴史を辿るご旅行をお楽しみください。

札幌開拓の歴史をより知りたい方は
当ホテルから車で約11分の「札幌村郷土記念館」にも是非お立ち寄りください。

公式HP:http://www.ncf.or.jp/wg/higashiku-nc/kinenkan/sapporomura.html